2/01/2013

改革の匠・恩師カトカン逝く

千葉商科大学名誉学長(前学長)で"カトカン"こと加藤寛先生が2013年1月30日午後7時48分、心不全のため86歳で逝去された。

加藤先生の存在を始めて知ったのは高校3年生の頃。大学選びをしていた時に父親から「千葉商科大学には加藤寛という有名な学長がいる。そこに入学してみたらどうだ?」と言われオープンキャンパスに足を運んだのが最初だった。当時、加藤改革により学生主導型になりつつあった千葉商科大学(以下、CUC)と、その中でオープンキャンパスを運営していた先輩たちの姿を見て「来年はスタッフをやります」とスタッフの先輩に伝えて帰ったのを憶えている。

そして私は1999年4月、商経学部商学科に入学した。

1年次春学期のある日、学長オフィスアワーが開催された。学長オフィスアワーとは、学長が学生たちと同じテーブルに座り、学生たちに耳を傾け、学生たちと政治等の真面目な話から雑談まで色々なことを話す場である。私が加藤先生に顔と名前を認識してもらったのがこの学長オフィスアワーだった。今でも忘れないのは加藤先生の私に対する第一声。それは「君、4年生?」という言葉だ。それ以降、加藤先生にはCUC生の中でも特に可愛がってもらった。

学長室にはよく遊びに行ったものだ。今の現役生たちにこの話をするといつも驚かれるが、本来学長室に行くためには、学生課から教学秘書室(現学長事務室)を通じてアポイントメントを取ってから行かなければならない。でもいつからかそのまま教学秘書室に足を運び「今日は加藤先生いらっしゃいますか?」と気楽な感じで足を運んでいた。

加藤先生は「半学半教」や「学生主体」「Univer-city」の考えをCUC内に広く求めた。私はその考えが大好きで、4年間常にアクションし続けた。そのおかげで卒業時には卒業生の中でも数名しかもらえない「学生アウォード」(学長賞のようなもの)もいただくことができた(私の卒業時は学年で4名のみ)。その後、私は卒業後一度は就職したものの翌年に新設された政策情報学研究科修士課程の一期生として再び加藤先生のお世話になることになり、修士号をいただくことができた。

(学位記授与式後にCUC噴水前にて,2006.3.21)


その後、加藤先生は2007年3月に3期12年の学長生活を終えCUCを卒業することになるが、加藤先生の学長卒業時は感謝の意を込めて、私を含めた10数名が中心となり謝恩会を開催、学長生活12年を振り返る「改革の匠・加藤寛」というDVDと新聞・雑誌・学内報等の記事を集めた冊子も作成した。これは学内でも限られた人間しか持っていないため、加藤先生の12年間を振り返る上でも貴重な資料となるだろう。

さらに、新しい時代に適応する教育組織体のあり方のひとつとして、加藤学長の12年間を事例に、大学教育の価値と役割についてまとめた「加藤教育論における大学の価値と役割」(2007.12)を書かせていただいた。こちらも将来、加藤寛の人間性や教育哲学を論じる上で貴重な資料となるだろう。

(学長室にて)

学長を退任して1年後、加藤先生は嘉悦大学の学長となった。加藤先生が学長になられて何年目かは忘れたが、情報系外部TAの募集があったため応募をしたことがあった。結果は不採用。当時学長補佐をされていた先生に理由を尋ねたところ、『加藤先生が「僕のいないところで頑張ってごらん」と言っていたんだよ』と。

いつも加藤先生の下で、加藤先生に面倒を見てもらって育ってきた。だからこそ、加藤先生は自分がいない場所で自分の力で成長してごらん、と言っているのだと思った。

ここ数年、加藤先生とは一年に一度会えるかどうかという位程度だった。最後に加藤先生にお会いしたのは確か2009年11月のOpen Research Forumの会場。私は彼女と一緒に加藤先生に挨拶をしたが、その際先生に「もう結婚したんだっけ?」と言われ、それに対して「何言ってるんですか先生、まだ結婚してませんよ。」と返答。今思えばこれが加藤先生との最後の会話となった。

2012年夏に所用で加藤先生に連絡をした際には既に体調が芳しくなかったが、それから半年、あっという間の出来事だったように思う。悔いが残っていることがあるとすれば、先生がご存命の間に博士号が取得できなかったことと結婚報告ができなかったこと。


私の人生に"加藤寛"という人物は大きな影響を与えてくださいました。
この13年間可愛がっていただき本当に感謝しきれません。
加藤先生に出会えて心から良かったと思っています。
本当にお世話になりました。安らかにお眠りください。

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